ギーター6章 7/19報告 |
『ヴィガタビーとは、恐れから自由な人。』
皆さんは、『恐れ』はありますか??
ヴェーダーンタを勉強していくにつれて、少しずつ、恐れを感じることが減ってきたように思います。
でも、それでも、まだまだ、怖いことも、プレッシャーに感じることもたくさんありますが・・・
ではなぜ、恐れを感じるのか?
それは、『私』に問題があります。
『私』こそが、この体だ。
『私』こそが、お母さん。
『私』こそが、気分屋な人。
『私』が、まるで、その中に、閉じ込められてしまったかのように、思ってしまう。
『私』こそが、この体だと思ったら、
いつか死を迎えたら、私が無くなってしまうという恐れを抱くかもしれないし、
『私』こそが、お母さんだと思っているなら、
母としてすべきことができなかったとき、後悔をしたり、
すべきことがきちんとできるかと不安に思ってしまうこともあるかもしれません。
もちろん、誰にでも、そういった考えはあると思うのですが、
私が、体や、お母さんとしての役割、気分屋である人を支えているものだと
気づいたとき、その恐れは、少しずつ小さくなり、そしていつか、
恐れや不安のない状態になる・・・
まだまだ、
何百人という人の前で、何かを話すことだったり、
人生の先輩に、どう思われているのか?と思ってみたり、
個人的には、私は、蛇やムカデが怖いのですが・・・。
『私』に対する無知が落ちていくと、その恐れが小さくなるのかな?
無くなるのかな・・・?
ヴィガタビーとは、
サンニャーシーに対してのみ使う言葉ではなく、
ブラフマチャーリー、シャーストらの勉強に重点を置くという誓いを立てた人にも使われるそうです。
でも、ブラフマチャーリーが、絶対的に、恐れから自由なのではなく、
グルからの教えを聞き込んで、熟考して・・・
少しずつ、少しずつ、無知が落ち、恐れも落ちていくのだろうね
と話し合いました。
その次のトピック、パラメーシュワラの2つの意味は、
もう一度じっくり先生の解説を聞いていきたいです。
さらに、14番目の詩の解説が続きます。
次回は、P66、『二種類のヴァーキャが必要である』からです。
ゆかり