2021年 09月 14日
サンスクリット語について |
サンスクリット語は、ヴェーダーンタを学ぶのに必須でしょうか? いいえ。ヴェーダーンタを学ぶために必要なのは、ある程度の成熟した考えだけです。
健康からはじまり、富や名声や地位など、それはそれで大切なものだけれども、「それらがあって私は幸せ、私は安心」というのはあり得ません。ある程度の成熟を得た考えの人とは、それを見抜いていて、何が幸せや安心をかなえるかを知っている人です。
たとえば、「お金があるので私は安心」というのはあるでしょうか?いわゆるお金持ちに聞いてごらんなさい。3日も一緒に暮らせば、あれやこれやの心配に苦しむお金持ちを見る事でしょう。仮にお金が安心の意味だとしても、あなたがお金になれたりしません。実際、お金があるので安心と言うのは、「お金がなければ安心ではない」という意味なのです。ですから、お金を持つ前にあった不安は変わらずあるのです。お金だけではありません。健康からはじまり、家族や、地位や名声など、あなた以外のありとあらゆる物も同じです。「それがあったら私は安心」はありません。
ヴェーダーンタが教えているのは、「あなたが安心である」なのです。それを言うだけでなく、なぜそうなのかを教えます。この教えに価値が持てる成熟したきれいな考えが、ヴェーダーンタを学ぶために必要なだけです。サンスクリット語は必須ではありません。けれどもサンスクリット語が成熟した考えを育てるのに役に立つ理由は2つあります。
1.学ぶことに愛がそだつ。
2.きちっと考える道具となる。
ヴェーダーンタの聖典は、サンスクリット語で書かれています。私たちは、それを日本語で教えています。ですから、サンスクリット語は必須ではありません。クラスでは、サンスクリット語で書かれた詩をチャンティングして、クラスがはじまります。それは音だけでも美しいものです。先生は、その詩を、一言づつ日本語で明かしながら、全体の詩の意味を明かしてゆきます。こうして、知らず知らずのうちに、サンスクリット語にも、少しづづ親しみがわいてきます。その時に、あなたは、サンスクリット語も学んでみたいと思うかもしれません。
たとえば、日本で学ぶ外国の方が、「なつくさや、つわものどもがゆめのあと」を学んだとしてみましょう。先生は英語でこの詩の意味を明かしました。その生徒は感動しました。その理解はまだ深い知識になっていないので、やがてはあいまいになってゆきます。しかし、クラスで「なつくさや。。」と何度も音を聞いていたので、「なつくさや。。」と聞くたびに、少し考えに蘇るのです。こうして、日本語を学ぶことは必須でないのですが、自然と「なつくさや、つわものどもがゆめのあと」の一言一言の日本語が耳に残り、英語で学んだ意味を想い楽しむ道具となってゆきます。やがて、ひょっとしたら彼は、これが主語で、これが動詞でと、少し日本語文法も学んでみたいと詩を学ぶ愛が育つかもしれません。さらに喜びが増すからです。やがて、ひょっとしたら、日本人の誰よりも、その詩を愛し「なつくさや。。」と詩を話すかもしれませんね。そうなるとひとつの詩が宝物ですね。
私たちヴェーダーンタのクラスでも同じです。まずは、学んだ詩をチャンティングをしてみたくなる生徒さんがあります。次に、サンスクリット語の文字と発音だけでも覚えて、サンスクリット語の詩をチャンティングしてみたい生徒さんがあります。そうですね。たとえ一言一言の意味がまだわからなくても、学んだ詩にはそれほどの愛が生まれます。ですから、ひとつの詩を、文法的にも知ってみたいと思う人があります。すばらしいですね。こうして、サンスクリット語の勉強は、必須ではないのですが、その愛は、「あなたが安心である」のしっかりとした理解をもたらす大きな力となります。これが一つ目の理由です。
2つ目の理由は、サンスクリット語の持つ特徴です。私たちの人生にとって、言葉の学びとそれを使う鍛錬は非常に重要です。「あのときあれをしっかりと言葉にできていれば。。」とか、「あれをあのように言うべきではなかった」と思えるならまだ可能性はありますが、たいていは、それさえもわからず、言葉はただ感情をはき出す意味不明の道具となっているかもしれません。言葉にもダルマとアダルマがあります。話すことも行いですから、動機と目的がはっきりとしていて、まわりと調和であるべきです。
サンスクリット語は、きちっしとした論理的な文法を持っています。まさに神の言葉と呼ぶにふさわしい言葉なのです。サンスクリット語の文法を学ぶということは、まさに神が音として、言葉として、さらに文章として現れる宇宙創造の法則を学ぶことになります。ですから、サンスクリット語の文法を学ぶことで、道理をもって物事を考える、そして言葉にする鍛錬が自然と身につくのです。でも、これは、学んでみてはじめてわかってくることですね。
まずは、サンスクリット語を学ばなきゃという気負いなく、ヴェーダーンタの学びを始めたらよいです。やがて、ヴェーダーンタの学びにつれて、自分にとってちょうどよい、サンスクリット語とのお付き合いの仕方が見えてきますから。
スワミ チェータナーナンダ
by vedantajapan
| 2021-09-14 18:47
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