2015年9月23日、私たちの先生、プージャ スワミ ダヤーナンダジはインドのリシケシにて、マハーサマーディに入られました。たくさんの祈りが世界中でなされる中で、マハーサマーディまでの1か月間をリシケシですごされました。この記録は、リシケシから日本の生徒の皆さんにその経緯を知らせていたグループメールの内容です。彼からの教えを直接受ける事はできなくなりましたが、彼の本やクラスの録音から教えを学んでいる方にマハーサマーディの様子を知ってもらえたらと思い、公開しました。
8月7日(チェーターナーナンダの報告)
パラヴィッデャー ケンドラムでの2年間コースの修了イベントに参加された生徒さんのダクシナを持って8月7日にコインバトール(アナイカティの村)に到着しました。スワミ ダヤーナンダジからコインバトールのアーシュラムで会いましょうとアメリカから連絡を貰っていたのでそのつもりでスワミジを待っています。 今回、お会いできたら相談する事は3つあります。2年コースの修了を報告、そして、京都にできたパラヴィッデャー ケンドラムのセンターに設置するダクシナームールティの像ができたかどうかを知る事、さらに、年末年始にコインバトールのアーシュラムでの日本人キャンプの開催についての3つです。前回、4月にお会いした時に、スワミ ダヤーナンダジが、日本に送るダクシナームールティの像を作りましょうと言ってくださっていました。それを発注したので楽しみに待ちましょうとも言われていました。また、日本人キャンプは、スワミ ダヤーナンダジに1クラスをしてもらって、それを深める振り返りクラスで15日くらいのキャンプをお願いしていました。
8月20日(チェーターナーナンダの報告)
アーシュラムでは、インターネットなどの通信の環境も乏しく、情報があまり入ってこない状況でしたが、18日ころに、スワミ ダヤーナンダジの様態が思わしくないことをアメリカからメールで知りました。
長く、透析を続けておられるのですが、骨も弱くなっているのか、脊椎にこまかな骨折があり痛みがひどいということでした。
8月26日(チェーターナーナンダの報告)
明日27日、アメリカからリシケシにチャーターされた小型飛行機で、動けない状態のスワミ ダヤーナンダがもどってこられることになり、私(チェーターナーナンダ)も、26日にリシケシに移動しました。スワミ ダヤーナンダジを心配するたくさんの人たちで、リシケシのアーシュラムはいっぱいになってきていました。
8月27日(チェーターナーナンダの報告)
スワミ ダヤーナンダジがリシケシに到着されました。到着後すぐに、ベッドに寝ておられるまま運ばれてこられたスワミジを囲んで、何時間もかけて皆が挨拶をしました。痛みが激しいに違いない中で、スワミ ダヤーナンダジは、一人一人、丁寧に、会って下さいました。その時に、2年コースの修了式で皆さんからいただいたダクシナをお渡して報告しました。また、先日、京都ではじめて行った7日間のキャンプの写真も嬉しそうにみてくださいました。でも、たくさんの人の列が続く中で、時間がなく、皆さんからあずかった手紙を読んでもらうことができませんでした。また、皆で最後にとった、スワミジへのビデオメッセージも見てもらう事ができませんでした。
8月28日(チェーターナーナンダの報告)
早朝、ゆりさんが到着しました。
8月28日、午前(チェーターナーナンダの報告)
スワミ ダヤーナンダジが、ベッド兼用の椅子に乗ったまま、クラスルームで、サットサンガをされました。ダルマについて。。。今のスワミ ダヤーナンダジご自身のお話を含めて。。。
スワミ ダヤーナンダジ自身のお話の中で、今回リシケシにもどられ透析を中止して自然な死を選ばれる意志があることが述べられました。そのことをアメリカでも話されていたので、スワミジの側近の人たちは、スワミジが透析を続けることを選ばれるように説得を続けておられました。皆の祈りと、説得がつづくなかで、また、たくさんの人がスワミ ダヤーナンダジと会う事を望んで、次から次へと、人々がリシケシに集まって来られるのを見られて、28日のサットサンガの後、2回だけ透析を受けることを決められました。スワミジのお話の中では、そのことが、サーマンニャダルマと、ヴィシェーシャダルマ。。自然な死がダルマなのか、透析を続けて、人々の期待に応えることがダルマなのか。。丁寧に引き続き見てゆくことをお話されました。スワミジのお話の声は、ときどき、迫力のある声が聴けました。また、ジョークも。。心配する皆を励ますように力強くお話されました。体の痛みの中で、痛みを克服して、反対に、たくさんの人を励まされました。
8月29日、午前(チェーターナーナンダの報告)
やはり、スワミ ダヤーナンダジがベッド兼用の椅子に乗ったままのサットサンガがありました。何か話すトピックがありますかと皆に聞かれ、近くに座っていたスワミニが、イーシュワラについてと声をあげました。スワミ ダヤーナンダジは、イーシュワラについて、何を話す事があるだろう。私が口を開いたら、イーシュワラしかないではないかと、そんなお話から、ありとあらゆるものがイーシュワラであることをお話されました。
8月30日(チェーターナーナンダの報告)
昨日までは、スワミ ダヤーナンダジに会いに来られる方は、お弟子さんのスワミジたちや3年のコースの生徒たちや、いつも良く見る生徒さんたちばかりでしたが、昨日あたりから、銃を肩に担いだ兵隊さんたちの護衛付きで来られる政財界の人たちや、お弟子さんたちに囲まれて訪れる他のスワミジたちもあり、日々、増えてきている様子です。
そんな人が自然と優先されて、29日は、ずっと待っていても会えない生徒たちがたくさんあったせいか、今日、30日は、屋外に列がつくられました。待っている人皆がお互いに見えるようにして、皆が公平に順番を並んでスワミ ダヤーナンダジに会えるような配慮がありました。
一昨日、日本から来られたゆりさんは、今日、30日にやっと会う事が出来て、スワミ ダヤーナンダジから名前、シャーンターをもらわれました。
コインバトールで開催中の3年コースの生徒のほとんど(日本人4人を含む)がリシケシに来ていて、先生方もこちらに来ていますので、状況がわかるまでは、こちらでクラスが再開されることになりました。(状況というのは、この前のメールに書いたことです)
スワミ ダヤーナンダジのおられる小さな建物の周りでは、いつも、誰かがチャンティングしていて、お祈りが続いています。目の前には、ガンジス川が悠々と流れています。そんな神聖な雰囲気の同じ場所が、普段会うことのないたくさんの人たちが会う社交場のようにもなってアーシュラムの中は騒然とした雰囲気が一日中続いています。そんな中で、大きなホールがあって、照明が落とされ、朝夕、瞑想の時間が設けられています。瞑想に参加する人はいつもほんの少しです。でも、とても大事に思えます。瞑想の中では、目の前で起こっている長い列やあわただしく動き回る、ここで起こっている全ての外の出来事が小さく小さくなって、ゆっくりと全体の中に溶け込んでゆきます。ひとつの大きな安心、満足、限りの無い自分自身である全体の中に消えてゆきます。長い時間、列にならんででも、スワミ ダヤーナンダジにひと目会いたい人々の願望であわただしく動く外の世界と、変わることの無い永遠の世界の両方が離れることなく同時に存在します。
今日30日、お昼前、スワミ ダヤーナンダジのサットサンガがありました。この時だけは、ホールはいっぱいになります。歌手のアヌラーダーさんが、スワミ ダヤーナンダジの作った「シヴァ シャンボー」を熱唱するなかで、車いすに乗ったスワミ ダヤーナンダジがホールに入って来られました。目を閉じてじっと聞いておられた様子で、この日の講和の話題はスワミ ダヤーナンダジが作った「歌」についてでした。
この数日、スワミ ダヤーナンダジの口から出て来る教えは、言葉と次の言葉の間に、大きな空白の時間があって、まるで、深遠な世界に行っては、体に戻って来て次の言葉を話されているのではないかと思えるような話し方です。集まった人たちはじっと言葉を待っています。
サーマンニャダルマと、ヴィシャーシャダルマ。。。全てが調和で事が進んでゆきますように。
祈り瞑想する私たちに、今も、教えが降り注いでいます。
9月1日の朝(チェーターナーナンダの報告)
今日の朝、9時からスワミ ダヤーナンダジのサットサンガがありました。250人ほどの人が聞いていたと思います。言葉はわかりにくかったのですが、言葉と言葉の空白の時間は今日はそれほどなく話されました。とても聞き取りにくい声であった事や、スワミ ダヤーナンダジの選択についてのとても大事な内容ですから、正確な内容は、アーシュラムで録音された内容を確かめて公になった場合またお伝えできます。簡単ですが、要点は次の事です。かすかな内容ですから、読んだ方の胸にとどめておいてください。他の方との議論や推測が進まないようにお願いします。
スワミ ダヤーナンダジは、3年半、透析を続けてクラスを続けてこられましたが、今、透析を止めて自然な死を選ぶ事を決めておられることが、お話全体からうかがえました。ただ、透析を2回は受けることを約束された事は、2回前のグループメールでもお伝えしたと思います。透析を2回受けることを約束された理由ですが、スワミ ダヤーナンダジにもう一度会いたいと来られる人があるので、特に、マンジャクリ(スワミジのふるさと)の人たちが到着するまでという理由した。
2回目が今日にあたります。サットサンガの後、スワミジは透析のために病院に向かわれました。
昨日は、透析を続けてもらうために、アーシュラムに透析の機械を運び込む事も準備されているとの情報もどなたかから聞きましたが、これからどのようになるのか皆がわからない状況です。
スワミ ダヤーナンダジが病院に行かれた後、コインバトールからこちらに移動してきた3年コースの皆で、ホールでトリャンバカムのジャパのお祈りがありました。スワミ ダヤーナンダジがいつもクラスで教えてくださった事、「『私には何もできない。私は無力だ』と思うならそうではない。祈る事ができる。そして祈りはとても大きな力を持っている」と。
アーシュラムでは祈りが続いています。
オーム ナモー バガヴァテー ヴァースデーヴァーヤ・・・
9月3日(チェーターナーナンダの報告)
リシケシのアーシュラムでは、昨日の朝、スワミ ダヤーナンダジの健康を祈って、ホール(クラスルーム)で、ヴィシュヌサハスラナーマ(1000の名前)を唱える、特別なアルチャナ(プージャ)がありました。私たちの選択がダルマから離れませんように、大きな法則の中で、法則にそって、ものごとが正しく進んでゆきますように。。。
スワミ ダヤーナンダジの生徒のスワミ(サンニャーシー)たちは今日も100人ほど、アーシュラムや周りの施設に滞在しています。次から次へとインド各地から、また、海外から、スワミたちが来られます。 そのほかにも、今までに教えを受けた人たちがたくさん集まって、今日もホールは満員でした。ホールに入れる人は詰めても300人ほどですから、滞在している人だけんでも400人はいるのではないかと思います。
特別なプージャが無い日は、朝夕、ヴィシュヌサハスラナーマと、タイティリーヤウパニシャッドと、バガヴァッドギーターのチャンティングが続いています。
午前、満員のホール(クラスルーム)でのサットサンガに、スワミ ダヤーナンダジが車椅子に乗って姿を現してくださいましたが、朝からたくさんの人と会われて疲れておられたのか眠られていました。
質疑応答の準備がされていて、一つ目の質問がスワミ ダヤーナンダジに読み上げられましたが、スワミ ダヤーナンダジからは答えがありませんでした。その後、お世話の人たちが、スワミ ダヤーナンダジの乗った車椅子をおして、スワミ ダヤーナンダジはお部屋にもどられました。この3日間で、3000人以上の人と会われているとの事。
アーシュラムではお祈りの毎日が続いています。
9月5日(チェーターナーナンダの報告)
アメリカからリシケシに戻られる時に持られたサンカルパを、スワミ ダヤーナンダジは、日々移り変わり展開されてゆくダルマに沿って、修正されている様子がわかります。それに従って物事が進んでいます。
このグループメールで報告しましたが、スワミ ダヤーナンダジがリシケシに戻られた時の最初のサットサンガで、「このサンカルパ、つまり、治療や透析をやめて自然な死を迎えるという意志がなぜ、考えにやってきたのかはわからない。しかし、それがやってきたのだ」と、おっしゃっていました。だだ、リシケシに戻られて直ぐは、たくさんの人が会いに来るから、2回透析が受けることを決めて、サンカルパを修正されました。そのときに、より丁寧に、引き続きすべき事、つまり、ダルマ選ぶ生き方を皆に示されました。
そして、この9日間の間に、2回の透析がを受けれられ、体を維持して会いに来られたたくさん人(3000人を超える人とのこと)に会われました。毎日、サットサンガも続けられてきました。骨折の痛みを抑える薬のためか、こん睡状態のようなサットサンガもありました。
そして、昨日、リシケシに戻られてから数えて、3回目の透析を受けてくださるかどうかを皆が祈りながら見守る中で、スワミ ダヤーナンダジは、サンカルパのとおりに、昨日から透析と治療をストップされたと報告がありました。
全体を統轄する生きた法則イーシュワラと物事が調和して展開しますように。リシケシのアーシュラムでは、ずっとずっと、ヴィシュヌサハスラナーマ、タイティリーヤウパニシャッド、そして、バガヴァッドギーターのチャンティングやプージャが続いています。
この内容は、ここの状況をお知らせして一緒にお祈りをしてもいやすいようにお知らせしています。
9月6日(チェーターナーナンダの報告)
アーシュラムに訪れる人は、日に日に増してきています。スワミ ダヤーナンダジのサットサンガは、3日前から様子がかわりました。それ以前も、言葉と言葉の間の空白の時間が増えていて、何も話されない時間がたくさんあったのですが、この3日間は、目を閉じて、あるいは少し目を開けて車椅子に座っておられる状態で、何も話されず深いサマーディーのようにも見えます。それでも、時々手を持ち上げて、何かを表現されるかの動作もあるので、数百人の人たちが言葉を待つのですが、言葉を話されません。そんな日は、数百人の皆が一列にならんで、オームナマッシヴァーヤをチャンティングしながら、ひとりひとり、スワミ ダヤーナンダジの足に触れてナマスカーラをしてサットサンガが終わります。6日の朝も、そんな時間でした。
アーシュラムでの一日は、サットサンガ以外は、お祈りのチャンティングが続いています。
スワミ ダヤーナンダジのクラスを受けてきた生徒たちには、スワミ ダヤーナンダジは、無言で教えを説いておられるように見えているかもしれません。この勉強を続ける人なら、誰しもがひとつの大事な質問を持つでしょう。「この知識がしっかり完成した人、モークシャを得た人とは、どんなふうに死を迎えることができるのか?」という質問を持つでしょう。まさに、スワミ ダヤーナンダジは個人として持てる限りの全てを使って教え続けておられます。おそらく、激しい痛みと苦しみの上にいて、その見本を示しておられるに違いありません。
スワミ ダヤーナンダジの意志はかたく、スワミ ダヤーナンダジと共に仕事をしてきた人や、生徒のスワミたちや、とにかく、ありとあらゆる人の説得を退けて、透析を中止され4日がたちます。(この理由は過去のメールで何度か書きました)
スワミ ダヤーナンダジが過去に教えたタイティリーヤウパニシャッドが、スワミ サクシャートクリターナンダジたちの手によって7割ほど本のための編集が完成しているそうです。一旦、透析以外の全ての治療もストップされたのですが、スワミ サクシャートクリターナンダジが、その本の校正をスワミ ダヤーナンダジに頼まれた事によって、昨日は、透析以外の薬などの服用はされ5ページほど目を通して校正を進められたとのお話がありました。
ここで起こっている出来事は普通の尺度では計れない出来事です。「透析を中止した場合に、どのくらい生きれるのか?」と、スワミ ダヤーナンダジがリシケシに着かれる前に、多くの人がもった質問でした。「もっと、生きてもらおう」「できるだけ生きてもらおう」という声が圧倒的でした。けれども、なんということでしょう! 約10日が過ぎて、実際、おこっていることは異質です。生徒たちの祈りは変化しているように見えます。スワミ ダヤーナンダジのサンカルパの強さが皆を変えています。最後まで、最後の一息まで、ヴェーダーンタの先生に没頭して、教えを与えようとする姿を皆が見ています。歩けなくなった体、言葉さえでなくなった体を車椅子に縛り付けてもらって皆の前に姿を見せられます。質問を受けても、言葉さえ出ないほど弱っておられるのに。
どのくらい生きてもらえるのかという事ではなく、目を閉じれば、スワミ ダヤーナンダジの真実はすでにあります。決して変わる事のない人として。
この、アーシュラムに集まった人たちだけでなくメールなどでスワミ ダヤーナンダジの動向を日々遠くから見守っておられる人たち全てを含んでいる、壮大なクラスが開催されているかのように見えます。先生としての全てを使い尽くして、教えを解いておられます。
それと、もうひとつ。。。
今回、スワミ ダヤーナンダジに聞こうと思っていた、ダクシュナームールティの像の事ですが、スワミ ダヤーナンダジと会ってそれを聞く事ができいままスワミ ダヤーナンダジが話されなくなりました。スワミ ダヤーナンダジがマハーサマーディにリシケシに帰って来られると聞いて、さらに、気になって、ずーっとスワミジの周りの人にしつこく尋ねていたのですが、どこに発注されたのか、本当に発注されたかどうかも、わからないままでそのままになっていました。 もし、それが本当に発注されていて、日本にくるはずのダクシュナームールティで、それが、ひょっとしたら、どこかでできていて、そして、もし、このままスワミジがマハーサマーディを迎えられたなら、そのダクシナムールティはどうなるのでしょうか?
確かに4月にお会いした最後の時には、「I will ordered it already. We will see what will happen for us」と言われていたので、もう一回、スワミ ダヤーナンダジに尋ねてみてほしいとクマールさん(スワミジについてお世話されているブラフマチャーリー)にお願いしていました。そのクマールさんだけが、ちょうど、私が尋ねたときに、スワミジの車椅子を押していて、スワミジがそう言われたのを私と一緒に聞いてくださっていた唯一の人だったので、クマールさんも、きっとどこかに発注されているに違いないと思ってくれていて、唯一親身になってくれていました。
そのクマールさんが、4日か5日くらいの朝、スワミ ダヤーナンダジが少し反応される朝に尋ねてくれたのですが、スワミ ダヤーナンダジからは返事がなく。。ところが、ところが、、なんと、その部屋にたまたまシーラバラジ(スワミジの生まれた村を教育の町に育てたり、AIM for SEVAの活動などを援助されている人)がおられて、その事を知っていると言ったということです。シーラバラジは、スワミ ダヤーナンダジが彼の故郷のマンジャクリ行かれた時に同行していて、ある時、確かに日本に送るダクシュナームールティだと言って発注されていたというのです。マンジャクリの近くはパンチャローカという金属で神様の像を作る事が有名な地域だそうで、以前にもダクシュナームールティを作った人をスワミジは知っておられて、スワミ ダヤーナンダジはその人をわざわざ呼んで、ご自分で話しをして、日本に送るダクシュナームールティを作って欲しいと頼まれていてとの事でした。数か月前だとの事。
ここまでの話しをクマールさんから聞いたときも、ドキドキしました。「ひょっとしたら、日本にダクシナムールティが来られるかもしれないっ。」
次の日、ホールで静かにダクシュナームールティとどうか会えます様にと思い、まだ見えない顔やその姿を思い浮かべて瞑想していたら、いきなり、後ろから肩をたたかれ、振り向くと、クマールさんで、こう言いました。「ダクシナムールティは、ずでにできているとの連絡があった。あとは、最後の磨きという仕上げをしてもよいのかどうかを、その作る人は連絡を欲しがっているらしい。どうする。」
「ほ、ほんとうかー。もちろん、もちろん。仕上げてすぐに、ここに送ってほしい。スワミジに見せたい」と返事しました。
すぐにシーラバラジがマンジャクリの村に連絡して、その人をさがしてくれて連絡を取って尋ねてくださったとの事でした。その人もスワミ ダヤーナンダジと連絡が取れなくなり、仕上げられずに置いてあったとの事。
日本にやって来るダクシナムールティは、本当でした。そして、そのクマールさんがそう言って報告してくださったとき、本当にスワミジはマハーサマーディに入られつもりなのだと思ってしまいました。スワミ ダヤーナンダジが、日本にもう一回行きましょうと約束していたのに、自分がもう来れないので、ダクシュナームールティの像を送ろうとされているのかもしれないとの考えがふとよぎりました。
完全に、イーシュワラのアレンジメントの中で、イーシュワラの中で、おこるべきことが起こっているように見えるのです。一日のうちで、やっと5ページの本のチェックができるほどに、衰えられたスワミ ダヤーナンダジですから、クマールさんが尋ねたとき、同じ場所に、シーラバラジがいてくれたという、このアレンジメントがなければ、決して、途中までできて完成していないダクシュナームールティのことは誰にも知られずに、日本に来る事なくどこかに行ってしまっていたのでしょう。こんなふうにして、イーシュワラが、私たちの目にもイーシュワラが見えるように、物事が展開してゆきます。私たちの目には神の慈悲が奇跡を実らせているようにしか見えません。
9月7日(チェーターナーナンダの報告)
スワミ ダヤーナンダジは、昨晩、透析することを受け入れられました。毎回、病院に行かなくても、苦労なく透析が受けれる様にと、アーシュラムでは、スワミ ダヤーナンダジのお部屋のすぐそばに、透析の機械がセットされていました。スワミ ダヤーナンダジは、昨夜、夕方のお祈りの時間に、そのお部屋に運ばれて透析がはじまりました。アーシュラムの中の雰囲気は、再び、急にあわただしくなったので、何が起こったのだろうと思っていました。側近でお世話をされているドクターたちの動きや表情が急に明るく輝き始めました。本の完成か何か、まだ、お仕事が残っている事を確認されたのでしょうか?ダルマは、生き物として、刻々と移り変わって、いまます。私たちの祈りも、その移り変わりに参加しています。
取り急ぎ。。
9月8日(チェーターナーナンダの報告)
昨日、7日の夜、事態の急変がありました。
一人一人、皆の祈りや行動が働いて、ダルマの動き、イーシュワラの動きに参加している事がとても明らかです。本当に、サイコロのがどう転がるか私たち個人の目には見えないけれど、そこにも、偶然はなく全てが生きた宇宙、ダルマ、イーシュワラの動きとして予想もできない展開を繰り広げてゆきます。スワミ ダヤーナンダジの数えきれない生徒たちが世界中でお祈りしている事がこんなふうにはたらくのかと。。。
スワミ ダヤーナンダジはその教えからも明らかなように、とても、プラクティカルです。体も手足も動かず、声もほとんど出ない状況の中で、刻々変化する状況を察知して、選択をされてゆきます。昨夜、改めて今自分の周りで起こっている状況を全て聞いて、透析を受けることを受け入れられました。
スワミ ダヤーナンダジの周り、私たちの周りで起こっている事、それは、誰も思いもしなかったすごい事です。インドのテレビでは、インド首相のモーディーさんが、リシケシのスワミ ダヤーナンダジに会いに来られる事を報道したとのことです。8月27日にスワミ ダヤーナンダジがアメリカからリシケシで体を離れる事を決めてインドに戻られました。そのことを知った、今まで教えを受けた世界中の生徒たち、そして、スワミ ダヤーナンダジがダルマにそった生き方を守るために一緒に仕事をされてきた世界中の人たちが、毎日、毎日、アーシュラムを訪れてこられましたが、皆の祈りが祈りに繋がり、とうとう、インドの首相のモーディーさんまでもこのムーブメントの中に巻き込んでしまいました。皆の祈りが働いて、行いが働いて、少しづつ、巨大な祈りの輪が広がっているのがどんどん形として現れてゆきます。それが、見えます。アーシュラムには、すでに、最新の透析の機械が寄付で設置されています。それも、ものすごいスピードです。
おそらく、アメリカから戻られて、刻々変化し続けている巨大なムーブメント、イーシュワラの動きを聞いて、丁寧に分析されて、昨日の夜、スワミ ダヤーナンダジは、現在起こっている状況に合わせて、サンカルパを調整されたのでしょう。スワミ ダヤーナンダジの教えは、いわゆる、スピリチュアルな空想に酔いしれる事なく、誰よりもプラクティカルです。そこが、彼の教えの本髄ですから。(プラクティカルの意味については、3人の末期患者に何が望みかと尋ねたお医者さんのお話が参考になります。もし、知らない方はお尋ねください)
そして、この8日の朝、スワミ ダヤーナンダジがサットサンガを開かれました。
その姿はこの数日とは違って、メガネをかけておられ、視線の動きもあって回復の様子が見えました。スワミ ダヤーナンダジのお話の要約です。「私は、声を失ってしまった。皆、聞こえますか? (皆が大きくYES)。私は生涯自分の力を間違って使うような事はしていない。モーディー首相が私に会いに来られるのだ。そして私は彼が大好きだ。どうも、私には、今、ぜひやり遂げたい残された仕事があるようだ。国のためにできる事がある。私は透析や治療を中止する事を決めたが、私が決める前にすでに皆が決めていた。(アーシュラムに透析の機械を設置して)すでに、透析の違う方法が与えられた。その(アーシュラムでの透析の)効果がもう現れている。皆、それに同意してくれますか? (皆がYES!と答える。なぜなら、透析を受けられる昨日までの何の動きもない弱ったスワミジとは見違えるように見えたので)。」
3日後の11日に、首相のモーディーさんが会いに来られます。すでに、アーシュラムでは、モディさんの訪問の前に、たくさんの警備の兵隊さんたちがやって来てアーシュラムで警備をはじめられています。また、テレビカメラをもった取材の人たちがアーシュラムを取材されています。アーシュラムの中だけではなありません。アーシュラムはガンガー(ガンジス河)に面しているのですが、対岸の山の中にも軍隊が入って警備がされるとの事。
今日のインドにおいて、モーディ首相の人気のすごさは、以下のビデオで確認してもらえます。
9月10日(チェーターナーナンダの報告)
明日、11日の午後にインド首相のモーディーさんがスワミ ダヤーナンダジに会いに来られます。
7日の夜に、スワミ ダヤーナンダジが、たくさんの生徒たちの願いで準備された透析や治療を受けることを決めて、再度、状況に合わせてサンカルパ(意志)を立て直された事を報告しました。その大きな理由は、スワミ ダヤーナンダジ自身が8日の朝のサットサンガで言われたように、「私はモーディーが好きだ。そして私は、まだ、国のためにやりたい事がある」と言われた事に現れています。
モーディー首相は、今までも、スワミジに相談して進めておられる仕事があり、スワミジもさらにモーディー首相の仕事を助けたいという想いからのサンカルパです。今までに進めて来られた仕事のリストを私は詳しく知らないのですが、全ては、モークシャと呼ばれる究極の人間のゴールを持ち、そのためのヨーガという生き方が今もしっかりと根付いているヴェーダの文化を守るための様々な仕事です。聖典を学びダルマを大切に生きる人を守る仕事です。(広くは私たち外国人も含めてその想いの中に含まれ守られています。)例えば、スワミ ダヤーナンダジがモーディー首相に発案して実現した事のひとつに、ガンガー(ガンジス河)の汚れを一掃して美しいガンガーを保つ事があったと聞きました。そのために専門家やインド軍隊の兵隊さんたちがリシケシやハリドヴァール周辺のガンガーの清掃と整備に充てられていて、今も仕事をされているとの事です。(その他に、AIM FOR SEVAやアーチャリヤサバと連動して大切な仕事がたくさんあります)。
モーディー首相について、ニレーシュさん(スワミジをお世話しているブラーフマチャーリーで、日本にもお世話に来てくれた方)が言うには、モーディーさんはリシケシのどこかのアーシュラムに住まれていた事もあるとの事。自転車にのって、スワミ ダヤーナンダジのクラスに通われていたとの事です。サンニャーシーの生き方を希望されていたけれども、スワミ ダヤーナンダジのアドバイスで、政治の世界に入られたとの事。ヴェーダの文化の価値を知っておられ、聖典を熟知されている方でインドでもまれな首相だそうです。モーディーさんが日本に来られ、阿部首相にはじめて会われた時、バガヴァッドギーターの本をプレゼントされたとの事ですが、どなたか聞いた事がありましたか?私は知りませんでした。
このモーディー首相が、スワミ ダヤーナンダジに会いに来られることで、リシケシの主要な道路やアーシュラム周辺は、軍隊の指導で徹底した掃除がされています。アーシュラムの前の街並みにあふれたゴミだめを知っておられる方は驚くと思いますが、今、見違えるようにきれいな道路になってしまいました。全ての道の側溝にたまっていたゴミも全てありません。
昨日、生徒たちも含んで、アーシュラムに出入りする人たち全員の個人情報を軍隊に報告し終わり、今日、身分証明書を一人一人もらえるそうです。つまり、明日は、その証明書がなければ、アーシュラムだけでなく、モーディーさんが通られる道に近寄る事もできません。
また、昨日、生徒たちが集められて言われた事は、このモーディー首相の訪問は、モーディー首相とスワミ ダヤーナンダジのプライベートミーティングなので、私たち生徒を含めてアーシュラムの中の人たちが、その間は、いったん監禁状態のようになるとのこと。全て、首相を守るための軍隊の活動ですから、皆で手を振って首相を迎えるという事もできないかもしれませんと、担当のスワミジが説明してくれました。でも、明日は、何が起こるか、誰にもわかりません。
なんであれ、こういった事全てが全体を動かしていて、スワミ ダヤーナンダジが、再び元気に、私たちを導いてくださる事を決められた事に、感謝です。
9月11日(チェーターナーナンダの報告)
今日の午後2半ころに、モーディ首相がスワミ ダヤーナンダジに会いにアーシュラムに来られます。昨日からアーシュラムの中は、たくさんの軍隊の人が入っておられます。モーディ首相が、プライベートで、自分のグルに会いに来られるということでテレビや新聞にも報道されているようです。新聞記事を添付しました。(新聞をクリックすると大きくなります)
先ほど、朝の8時半ころ、車椅子にのって、お世話の皆に囲まれて、スワミ ダヤーナンダジがアーシュラムの中を見て回られました。ガンガー(ガンジス河で女神)にお祈りして、アーシュラムの中のシヴァテンプルでお祈りされた後、モーディさんと面会されるために大きな立派なソファーが設置されたお部屋や、警備の軍隊の人たちがいっぱいのアーシュラムを見て回られました。その様子は元気そうです。音が聞こえにくいので、耳にヘッドホンを当てて、マイクを通してお世話の人が説明されていました。スワミ ダヤーナンダジと数人のお世話の人以外は、昼食の後、全員がほぼ監禁状態になるようです。
9月12日(チェーターナーナンダの報告)
テレビや新聞は昨日から「モーディー首相が、自分のグルのお見舞いにリシケシへ」と報道していて、たいへんな数の人が動いています。そんな中、インド首相のモーディーさんは、予定より時間がおくれて3時半ころに、マスコミの人たちや警備の軍隊の人々でいっぱいになった、アーシュラムに到着されました。
私たち(スワミ ダヤーナンダジの生徒たち)は、スワミ ダヤーナンダジの部屋のある建物から15メートルほど離れた場所に柵がつくられて、その中で、モーディーさんの到着を待ちました。スワミ ダヤーナンダジのそばでお世話してきたスワミジや、リシケシのアーシュラムのスワミジがモーディーさんに奉げる花輪を持って待ちました。やがて、たくさんの車に護衛されるように、モーディーさんを乗せた黒いきれいな車がスワミ ダヤーナンダジのお部屋の建物と私たちのいる柵の前で止まり、モーディーさんが車から降りて出てこられました。白髪に白い髭で白っぽい衣装のモーディーさんは、手短な歓迎を受けた後、メガネを外して布で拭いて、スワミ ダヤーナンダジのおられる建物に入ってゆかれました。雷が鳴って、モーディーさんを歓迎するように雨が降り始めました。
約40分ほど面会が続きました。やがてモーディさんが建物から出てこられて、私たちのいる柵のほうに来られました。皆はいっせいに立ちあがって、前の列のほうにいたスワミやスワミニーたちの手を一人一人握って歩かれました。歓声が沸き上がりました。手を振る皆に見送られ、再び、たくさんの車に護衛されアーシュラムを去られました。その後、バリケードが除かれると、外からたくさんの町の人たちや子供たちがアーシュラムに入って、ひととき、スワミ ダヤーナンダジの建物の周りは人で埋まりました。
ひとつの国のトップが、聖典の教えを受けた自分の先生の健康をお見舞いに来られるという出来事をこの時代の私たちは目撃しました。聖典の価値を知っている人には、この出来事は歴史的に大切な出来事です、どれほど聖典とその先生が大切かが示されていますから。結果として首相はモデルを示されました。こんな状態の中で、形をもってこんなふうに示されました。今も、ダルマの意味を教える聖典ヴェーダが人々の日々の生活レヴェルから国の経営のレヴェルまで貫かれていて、さらには、パラマプルシャーアルタ、究極の人のゴールと呼ばれるモークシャ(自由)を明かすものとして大切にされていて、モーディさんはその価値を知っていて、先生にこのような感謝の気持ちを持っておられて、ジャナカ王のように、忙しい首相の業務に没頭されています。すごい国だなーと、思うのです。
夜、スワミ ダヤーナンダジにモーディ首相がお見舞いされたときに立ち会われたスワミジが、どのような面会だったのかを話してくださいました。
スワミ ダヤーナンダジは、「会いに来てくれてありがとう」とモーディさんに言われた。モーディさんは、スワミジに、どうか医療行為を続けるように、透析を続けて元気になってもらえるようにと、スワミ ダヤーナンダジの手をとってお願いされたとのことです。また、元気になってもらって、デリーの首相のオフィスにも祝福に来てほしいのですとお願いされたとの事。行きましょうと答えられたとのこと。
今日、12日、私たちは直接スワミ ダヤーナンダジから、昨日のモーディー首相との面会のお話を聞けるかと思って、朝からチャンティングでお祈りしながら待っていましたが、今、スワミ ダヤーナンダジは、今は眠っておられるとの事。
昨日のモーディ首相の訪問の後、アーシュラムに滞在する人の数も少しづつ減って来ました。アーシュラムやその周辺に滞在して8月27日からスワミ ダヤーナンダジの健康をお祈りしてきた生徒たちも、自分の故郷を目指してアーシュラムを出発される人が増えてきたからです。透析や治療がはじまって、どんどんと元気になってゆかれる事が感じられるリシケシのアーシュラムです。
9月12日夕方(チェーターナーナンダの報告)
スワミ ダヤーナンダジは適切な透析と治療を8日からはじめられています。今日も、現在透析中です。事態の変化に安心してたくさんの生徒たち先生たちが、アーシュラムを離れて自分たちの地方に戻られてゆきます。
テレビ報道の1つのURLを添付しました。
9月16日(チェーターナーナンダの報告)
モーディー首相の訪問の次の日、スワミ ダヤーナンダジは、透析以外の症状の検査のために近くの病院に移動され滞在されています。アーシュラムに滞在していた、生徒やたくさんの人々もずいぶん減り、アーシュラムも通常になってきました。
透析もされていて健康状態は、良いとの事ですが、いくつか感染症があるかもしれないとの事で、その治療のため何日かの病院滞在になるかもしれないとの事を聞いています。
モーディ首相のお見舞いについては、インドではテレビでもたくさんの報道がされていて、そのうちのひとつです。
9月17日(チェーターナーナンダの報告)
スワミ ダヤーナンダジは、現在病院におられます。3日前からです。昨晩からスワミ ダヤーナンダジの様態が悪くなっていました。夜中に血圧や何かの数字が下がり体の反応が無くなってきたとの事で、朝一番に、スワミ ダヤーナンダジがアーシュラムに戻られるという事で、アーシュラムに残っていた皆が、朝のプージャの後、引き続きガネーシャチャトゥルティプージャをしてスワミ ダヤーナンダジの帰りを待ちました。スワミ ダヤーナンダジが病院でマハーサマーディ(知識を得た人の死の意味)を迎える事が無いようにお世話する人たちの配慮であったようです。その配慮の理由は、アメリカからリシケシに戻られた理由と同じように、スワミ ダヤーナンダジはご自身がマハーサマーディはリシケシのアーシュラムと決めておられた事もあったと思います。また、どこかの病院で死を迎えられる事は、病院の治療が行き届かなかったのではと言う人が出て病院に迷惑をかけないようにという、スワミ ダヤーナンダジご自身の配慮であるとも聞いています。一旦、アーシュラムも戻って来られる準備を整えたのですが、お祈りのチャンティングをして皆が待つ中で次の知らせがありました。病院での治療が続く中で、スワミジがまた治療に反応されはじめた(血圧などの数字が上がってきた)との事でした。今もなお、病院で治療が続いています。アーシュラムに残った生徒たちは、ずっとヴィシュヌハッスラナーマなどのチャンティングを続けています。
昨日、スワミ ダヤーナンダジが日本にと発注してくださっていたダクシュナームールティの像がリシケシに届きました。ここに残っている日本人、私と、みちかさん、シャーンターさん、ヴァニデーヴィーさんとで、スワミ ダヤーナンダジのおられる病院に像を見せに行きました。このダクシュナームールティがこうして形になるまでのいきさつは、かんたんに文章にできない不思議な事の連続で、確実にイーシュワラの中に全てが繋がりながら運ばれている事を見ることができるいきさつでした。あと、数か月かかるかもしれないけれどダクシュナームールティを日本に運んで開眼の儀式ができたなら話を聞いていただけたら幸いです。昨日は、こうして実現した48キロの重さのダクシュナームールティの像をスワミ ダヤーナンダジのいる病院に持っていきました。病室まで会いに行く事ができました。病室についたときも、まさに、スワミジがICUに運び込まれる寸前で間に合いました。ダクシナームールティを見てもらいました。スワミジは右手でダクシュナームールティに触れて、嬉しそうに見てくださいました。鼻から酸素吸入さえていて、言葉はよくわからなかったのですが、「前に進んでゆきなさい。私の代わりに日本に持って行きなさい。」という風に聞こえる言葉をいただきました。どのお寺の像も、例えばシヴァでも、ガネーシャでも、そのお寺のシヴァやガネーシャの固有名前があります。スワミジは、しばらく考えて、私たちの日本に来る事になるであろうダクシュナームールティに、「プラジニャー」という名前をくださいました。スワミジはそのときとても力強く感じたし、まさかその後すぐに、ICUに運ばれて、血圧などの数値が下がるとは思いもせず、幸せに病院を後にしました。その後、病院から車でアーシュラムに戻ると、皆が、ざわざわしていました。スワミ ダヤーナンダジが病院でICU(特別治療室)に入られていて、血圧などの生態反応がかなり低下し始めたと言うのです。何という事でしょう。つい先ほど、会って話せたのに。
私は、今日リシケシを離れて勝尾寺キャンプに向かうことにしています。21日まではインドに残るシャーンターさんや、アーシュラムからの情報を得ながら、皆で、スワミ ダヤーナンダジを想い、教わった事を想いだし、祈りと瞑想の3日間を過したいと思います。
9月21日午前(シャーンターの報告)
昨日スワミ ダヤーナンダジの手が少し動いたので、兄弟たち親族が病院にとどまることを希望したということで、今の時点ではスワミジは病院におられます。サドゥーの人たちはアシュラムに戻ってきてもらいたいといろいろな話し合いがもたれているようですが、どうなるのかは、わからない状況です。
二ガマさんにチェーターナーナンダスワミジは、すぐにリシケシに戻ってこられると伝えたら、それがいいと言っておられました。
とにかく、スワミ ダヤーナンダジは、目も開かず、コミュニケーションは取れない状態のようです。アシュラムでは朝、昼、晩と チャンティングが続いています。
9月21日午後(シャーンターの報告)
病院でのスワミジとのダルシャンが始まりました。どうも、生きているうちにアシュラムに戻ってくることが難しくなったようです。理由はいろいろと聞こえてきますがはっきりとした事はわかりません。ひとつは、重要な人物なので政府のほうから何らかの申し出があったとか、もうひとつは、もう移動するだけの体力が残っていないとか。
とにかく、今朝11時からバスで病院に行き、ダルシャン(スワミジの姿を見る)が、始まっています。私達がダクシュナームールティを見せに行った、その直後からレスポンスがなくなったようです。本当にダクシナムルティに手を触れてもらったことは奇跡のようなことのように思います。
私もダルシャンに行くリストに名前を書きましたが、朝行った人が、スワミジの口は開いた状態で、顔や腕がかなり腫れていたという人がいました。すこし迷っていますが、今晩はもう一度処置があるそうで(透析)行くとしても明日以降になります。
9月22日(シャーンターの報告)
スワミジ、勝尾寺での3日間のクラス、お疲れ様でした。今インド時間の午後6時です。今日はダルシャンはありませんでした。
今日の午前のチャンティングの時間の終わりに、リードをとっているスワミジから、23日にスワミ ダヤーナンダがアーシュラムに戻ってこられる予定だとみんなの前で連絡がありましたが、今までの経緯を見てみると、本当にどうなるかはわからないとも言っておられました。前回のように何千人もの人が集まることがないようにとの配慮が感じられます。
グループメールでお知らせしていますが、あまりオープンに伝えないようにとのことですので、そのようにお願いします。
ドクターの一人に尋ねたところ、病院からアシュラムへの車での移動は問題ないだろうというお話が聞けたようです。少し安心しました。
スワミ ダヤーナンダジは日本が好きだった、日本に行きたいと思っておられたと言ってくれる人がいました。私も以前、「日本人はヴェーダーンタを学ぶ資質を持っている国民だ」とスワミ ダヤーナンダジが言われたのを聞いたことがあります。仏教という背景があるからと言われていましたが、私はチェータナーナンダスワミジの一生懸命学ぶ姿、アティテュードをみられたことが大きいのではないかと思っています。なんか、今回のダクシナムルティの一連の出来事を思うとスワミ ダヤーナンダジがチェーターナーナンダスワミジがリシケシに戻ってこられるのを待っておられるような気がします。
9月23日(シャーンターの報告)
午前11時5分 スワミ ダヤーナンダジが救急車でアシュラムに戻ってこられました。グルストートラムとダクシナムルティストートラムのチャンティングの後、アシュラムに居る人達のダルシャンがありました。口には呼吸機器が付けれれていて、呼吸がしんどそうでしたが、私がダルシャンに入って時は、腕や足が少し動きました。
9月24日の早朝、インドの23日の11時半(チェーターナーナンダの報告)
日本時間の24日の早朝1時ころに、リシケシに滞在のシャーンターから電話で知らせがはいりました。インドの23日の10時20分、スワミ ダヤーナンダジは、マハーサマーディに入られました。
シャーンターさんの言葉です。
「アーシュラムにいる生徒たちの見守る中で、最後の息をされ、とても安らかに体を手放されました。」
私は、今日の朝10時の飛行機でリシケシのアーシュラムに向かいます。
9月25日(チェーターナーナンダの報告)
インド時間の朝、4時半にアーシュラムに到着しました。スワミ ダヤーナンダジの肉体が、リシケシアーシュラムのクラスルームに置かれた2メートル四方のガラスで中が見えるようになった箱に、おみこしのように数人で担げるようになった椅子に置かれていました(座っておられました。)その中には氷も入っていました。いつものようにオレンジのドーティを着て。。まるで、瞑想されているような姿でした。
ガンガー(ガンジス河)に面したスワミ ダヤーナンダジの部屋の前の広場には大きな縦穴が掘られていました。しばらくしてスワミ ダヤーナンダジの体とシヴァリンガムをデヴァターとしてのプージャがはじまりました。
首相のモーディーさんが来られた時をピークに次第に人が減って静寂を取り戻していたアーシュラムも、この最後のプージャに出席するためにインドや世界中からサーンニャーシーたち、生徒たちも戻って来られていて、それに、リシケシの町の人たち、マスコミのテレビカメラもたくさん入っていて広場は、たいへん込み合っていました。広場だけでなく広場を囲む建物のバルコニーもたくさんの人で埋まっていて、まるで、ガンガーを望むスタジアムのようになっていました。
ゆうゆうと流れるガンガー、それを囲むリシケシの山々、山にかかった雲たち、青空と太陽、朝のさわやかな風が吹くリシケシの風景の中、スワミ パラマールターナンダジのチャンティングのリードでプージャがはじまりました。数百人のサンニャーサたちや生徒たちが参加したチャンティングの声がガンガーの流れの音と合わさりリシケシの空に広がりました。ガンガーの水、ヤムナーの水など、聖なる水が各地から集められた水を使って次々とスワミ ダヤーナンダジの体がアビシェーカムされました。グルを尊ぶ108の名前を唱え、いっぱいの花で飾られたスワミ ダヤーナンダジの体がカルプーラの炎に照らされ、プージャはクライマックスを迎えました。リシケシのアーシュラムを引き受けて来られたスワミ シュッダーナンダジがその炎を両手で高く持ち上げて、広場を四方に囲んで集まったたくさんの人たちに炎をかざしながら、プージャが終わるのを惜しむように、ゆっくりと3回られました。
10人ほどのサーンニャーシーたちが花で埋まったスワミ ダヤーナンダジの乗ったおみこしのような椅子を担いで、大きな穴に入ってゆくと、最後をみとどけようとした群衆がマスコミが動いて立ち上がり穴の淵まで迫ってきて、それを止めようする人たちとそれでも見たいと言う人たちでたいへんな混乱となりました。
スワミ ダヤーナンダジの体は、無事に塩やヴィブーティでまず囲まれ、土で埋められてゆき無事に土葬の儀式が終わりました。この場所にやがて木が育ち、スワミ ダヤーナンダジを思い出す場所として何かの祠のようなものができると聞きました。
ひととおり儀式が終わって、私が日本にもどっていた5日間の間の出来事を、リシケシに残っていたシャーンターさんに話を聞きました。シャーンターさんは、スワミ ダヤーナンダジのマハーサマーディの瞬間に立ち会っていました。
シャーンターさんから聞いた話の要約-------
スワミ ダヤーナンダジの回復を期待する人たちと、いよいよ自力では呼吸ができない状況を見てマハーサマーディの時が来たと思う人たちの両方の考えの人たちのミーティングが繰り返されていたとのことです。スワミ ダヤーナンダジのそもそものサンカルパ通りに、体を離れるマハーサマーディは、ガンガーのほとりのアーシュラムでというサンカルパを実現させるためには、息がある間に病院を離れてアーシュラムに運ばなければなりませんが、そうすると、回復を期待する人たちの意志には反します。
スワミ ダヤーナンダジの状況を見ながら2つの人たちの話し合いが3日間続きましたが、サーンニャーシーたちが集まる最後のミーティングで同意して、23日の午前中の11時半に病院からもどられました。
スワミ ダヤーナンダジの使っておられた建物の一階に、ベッドに横たわってほぼ反応の無いスワミ ダヤーナンダジに、アーシュラムに残っていたサーンニャーシーたちや生徒たちが最後のダルシャンをはじめました。スワミ ダヤーナンダジのベッドを囲んで、オームナマシヴァーヤのチャンティングの中で、最後に2回大きな息をされて、次の息がありませんでした。夜10時20分にスワミ ダヤーナンダジは、とても安からなマハーサマーディによって、体を手放されました。
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2000年、11月、リシケシでスワミ ダヤーナンダジに会い救いを求めました。
2015年、9月、マハーサマーディ。。
Om プージャ スワミ ダヤーナンダジ。。。感謝。
チェーターナーナンダ
10月8日(チェーターナーナンダの報告)
マハーサマーディから数えて16日目にあたる10月8日が、ショウダシャバンダーラでした。
ショウダシャは「16」、バンダーラは、主にサンニャーシーたちに食べ物やお金などを奉げる事を言います。
マハーサマーディの日から昨日まで、たくさんのスワミジや生徒たちが、この日のために様々な準備をしてきました。スワミ ダヤーナンダジのマハーサマーディ後の体が埋められた場所はシヴァリンガムが置かれ、スワミ ダヤーナンダジの写真が飾られ、そして、毎日、たくさんの花で生徒たちがアイデアを出して飾ってきました。
ショーダシャバンダーラの前日の夜には、大量の花が空輸でチェンナイから届きました。スワミ ダヤーナンダジの好きなジャスミンなど、南インドの花です。その花を使って生徒たちが、一晩中、その場所やマハーサマーディに入られた部屋などの飾り付けをしました。
8日朝の9時半、ガンジス河の音ときれいな青空の下のその場所で、プルシャスクタムのチャンティングとともに、プージャがはじまりました。アーシュラムはたいへん多くの人となりました。
生前も、スワミ ダヤーナンダジはバンダーラをとても大切にされていて、それによって人生の4つ目のステージに入った人、つまり、サンヤーシーたちを守られてきました。なんであれ、モークシャを求めて聖典を学ぶ生き方だけに没頭するステージに入った人たちです。毎年の春、スワミ ダヤーナンダジのキャンプが開催されている時には、週に3回~4回とバンダーラが行われ、毎回リシケシやハリドヴァールのサンニャーシーたちが、200人~300人ほど招待されて食事やいくらかのお金が奉げられていました。スワミ ダヤーナンダジ自身が、若いころリシケシのバンダーラで衣食を支えられ勉強されてきた事があると聞いてきました。
このショウダシャバンダーラでは、スワミ ダヤーナンダジが親しくされていた、マハートマーたち(伝統的なサンプラダーヤを引き継がれている先生たち)が16人招待され、食事の他に16の品物がささげられました。ヴァストラン(着るための布)やショールだけでなく、金のマーラーや、雨傘、鞄、お金などが含まれていると聞いています。
その16人のマハートマーたちのほかに、3000枚の券がリシケシやハリドヴァールのサンニャーシーたちに配られていて、3000人のサンニャーサたちが4つの時間帯に分れてバンダーラに来られました。
午後2時、3000人全てのバンダーラが終わり、私たち、つまり、スワミ ダヤーナンダの生徒のサンニャーシーたちや、生徒たちや、アーシュラムで働く人たち、また、混乱を防ぐために手配された軍隊の日人たちなど、全ての人たちにバンダーラの食事やいくらかのお金が奉げられショーダシャバンダーラは修了しました。
こうして、どこからともなく、たくましく生きる数えきれないサドゥたち、(サンヤーシーたち)が元気にバンダーラにやって来ては去ってゆかれる姿を見ていると、この伝統の広がりと深さを改めて見る事ができます。スワミ ダヤーナンダジは、体を離れてゆかれたけれど、また、こうして伝統を生きている人の中から、ヴェーダーンタの宇宙観をいきいきと解説するスワミが現れ、教え継がれてゆきます。絶えることの無いこの伝統はガンガーの流れのようです。
この日も、最後は、ナマッパールヴァティパタエー、ハラハラ マハーデェーヴァと、ショーダシャバンダーラをやり遂げたたくさんのスワミジや生徒たちの満足な気持ち大きな歓声で終わり、絶える事の無い教えがまた始まってゆく事を示してくれているかのようでした。
日本からは、マサエさんが、前日に到着され、バンダーラをお手伝いされました。
スワミ ダヤーナンダジがアメリカから8月27日に戻られてからの40日ほどに起こった事をもう一度回想しながら、かみしめながら、スワミ ダヤーナンダジにお別れをして、バンダーラの後、夕方の6時に、私はアーシュラムを離れ、日本に向かいました。
Om
チェーターナーナンダ
追伸:この40日、このショーダシャバンダーラバンダーラまでを、切り盛りされてきた、スワミジの一人が、日本に輸送途中のダクシュナームールティのプージャや、チャンティングを教えに来てくださいます。2カ月ほど、4月~5月にかけて日本にくださる事になりそうです。きっと、聖典クラスもしてくださいます。楽しみです。